【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #02橋本真由美

【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #02橋本真由美

今や業界では雲の上の存在と思えるような成功者やその道の第一人者でも、 最初は誰もが新人であり、多くのつまずきや戸惑い、苦労を経験しています。誰だって最初からできたわけじゃない。初めから自信があったわけじゃない。 人生の様々な節目での、あの人の「新人時代」にフォーカスし、明日への勇気に繋がるヒントをお届けします。


誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語

ブックオフコーポレーション株式会社 取締役相談役 橋本真由美さん

自分の「やり場」で人に負けない働きをしよう!
経営者はそういう人を決して放っておかない

専業主婦18年。引っ込み思案な主婦が踏み出した先は、新しい形の古本屋

 パートという立場から、一部上場企業のトップまで務め、さらには講演会やメディアなどにも度々登場することから、「さぞ、橋本さんは並外れた度胸のある人なのだろう」と思われがちですが、実際はその印象とは全く逆。人前に立つとドキドキして、誰かの後ろに隠れてしまうような、引っ込み思案な主婦だったのです。

 ブックオフにパートとして入るまでは、18年間専業主婦をしていました。独身時代から続けていた栄養士の仕事を、結婚を機にスッパリ辞め、会社員の夫を支えることを決意。娘2人が生まれてからは、子どものために良いとされる習い事はなんでもやらせるような教育熱心な母親でした。
 でも、娘たちも中学や高校に上がると、さすがに手がかからなくなり、朝掃除や洗濯を済ませたら、2人が学校から帰ってくるまでたっぷりと時間があります。これからどんどん学費もかかることだし、外に働きに出て少しでも学費の足しになればと、パート募集の求人広告を見るようになったんです。

 ところが、栄養士の仕事しかしたことがない私がやれるような仕事はなく……。なにしろ、子どもの頃からすごく不器用で、周りの子たちがお手玉などで器用に遊んでいるところ、自分だけができないということが多々ありました。なので、パートのお仕事でよくある部品のはんだ付けとか、細かい機械作業とか、自分だけ不良品を作ってしまいそうで、とても怖くて手が出せませんでした。
 やっぱり私にできるのは栄養士の仕事しかないと、たまたま近所で栄養士を募集していた宇宙科学研究所に勇気を出して履歴書を送ったものの、それも定員でいっぱいの知らせが来てしまい……。

 外に働きに出るのは無理かもしれないとあきらめかけていると、新聞の折り込みチラシに「古本屋の新規開店につき、オープニングスタッフ募集」の記事を見つけました。「誰でもできる」という初心者には大変魅力的な言葉が目に留まり、きっと本の片付けやお店の掃除なら、主婦の私でもできるかもしれないと応募することにしたのです。

 面接には、この事業を立ち上げた創業者(以下、社長)が対応してくれました。私は家庭との両立が大原則でしたから、「平日は娘の塾の送り迎えのため夕方16時ぐらいまで、土日は主人がいるので休みたい」と色々条件を伝えると、よっぽど人がいなかったのか、「いいよ、来てください」とすんなり採用が決まりました。
 採用してもらえたものの、不安はありました。主人は昔ながらの考えの人ですから、働くなら家のこともしっかりできないと許してはもらえません。18年ぶりの慣れない仕事で疲れてしまって、ご飯の支度が満足にできなくなったらどうしよう……と、そんな心配ばかりしていました。

 1990年4月17日。ブックオフでのお仕事が始まったわけですが、新たな不安が生まれました。オープニングスタッフとして集まったのは、私のようなパートさんがもう一人と、学生アルバイトが10名ほどで、皆、本の知識や本屋での経験があるわけでもない素人ばかりだったのです。
 オープンまであと2週間。このメンバーで、社長が買い取りして集めた古本の数々をピカピカに磨いて、棚に並べなくてはなりません。
ですが、その古本の数は想像をはるかに超えていて、なんと4万冊もあったのです。

夕方で帰るはずが、いつしか深夜帰りに。中古本を蘇らせる魅力にハマる

 壁一面の棚に、紐でくくられたホコリだらけの本の束が無数に並んでいるのを見たときは唖然としましたが、その束を一つ一つほどいて、本を拭き、ヤスリで磨きをかけていかなくてはなりません。
 私はいつの間にか作業に夢中になっていて、気づけば勤務時間が過ぎ、夜8時、9時に。ある時は深夜0時になることもありました。家の夕ご飯も作り置きのカレーになり、そのうちお肉だけ買って帰るようになり、仕舞いには何も買って帰らない状態に。今まで娘たちには一切家事をやらせていませんでしたが、お母さんがいないので仕方なく自分でやるようになっていきました。

 オープン直前にもなると毎日の重労働で4、5キロ痩せて、鏡を見たらゲッソリしていて驚きました。でも、心は不思議と元気で、「今日はあの棚を綺麗にしよう、あそこの段ボールを片付けなくちゃ!」と気力が湧いてくるんです。
 やっぱり片付けとなると主婦の才覚がめきめきと表れ出て、店内を右往左往しているアルバイトさんたちに「次はこの段ボールを片づけるよ!」「そこ、突っ立ってないで掃除して!」と指示をするようになりました。ついには社長にまで「その段ボールを倉庫に運んでください!」と指令を出したりして。
 リーダーシップと言えるほど立派なものではないけれど、人をまとめることや自分の号令で周りの人がどんどん動いてお店が良くなっていくことが、こんなにもうれしいものなのか!と実感した瞬間でもありました。

 オープンしてからも、ますます仕事にのめりこんでいきました。中古業はお客様が使ったものを頭を下げて買わせていただいて、それを商品として売るのが仕事です。
 買い取った直後はホコリだらけのものや汚いものもありますが、それを綺麗に磨いて値札をつけて、どの位置に並べたら売れるのかを考えます。1冊の販売価格が108円だとしても、自分が綺麗に磨いた本が売れたときはうれしいものです。子どもを嫁に出す感覚というと大げさかもしれませんが、それほど手をかけた感覚がある。もしかしたら新刊の本を売るよりも、中古本を売る方が、面白味がありそうなぐらいに……。

 仕事をテキパキとこなしていくと、周りからも少しずつ頼られるようになりました。今までは橋本さんの奥さんとか、お母さんと呼ばれていたのが、橋本真由美個人として認められたり、褒められたりする。そこに時給600円ですけれども、お給料がつくのですから、なんてありがたいのだろうと思ってましたね。
 働き始めて半年が過ぎたころでしょうか、社長からこう言い渡されました。

 「2号店をオープンするから、店長をやってよ」

 これには驚きました。私の働きぶりを見て、よく出しゃばるおばさんだと思われたのか、一つの店舗の責任者を任されることになったのです。任された以上、期待に応えなければ!と身震いがしました。雇用形態はパートスタッフのままでしたが、店長として2号店のオープンを取り仕切ることに。91年の元旦に開店し、初日は20数万を売り上げて好調な滑り出しでした。

 一つのお城を任されたうれしさから、私は仕事に燃え、新たな店舗づくりの提案をしたり、アルバイトさんたちにお母さんさながら、お弁当を作っていったりして、良好な関係を築いていこうと努力しました。おかげで、スタッフ同士、和気あいあいとした雰囲気で働くことができました。

 ところが、数か月、半年と経っていくと、様々な問題が出てくるようになったのです。

店長ひとりが頑張って空回り。売り上げがみるみる落ちて閉店の危機に

 一つは、パートスタッフという立場のまま店長を続けていたことにありました。責任者の私としては、今、買い取ったばかりの売れ筋コミックを加工して店頭に並べれば、翌日確実に売れるから残業してでも作業したいと思うのですが、ほかのアルバイトさんたちはそこまでのモチベーションはありません。

 「僕らはしょせんアルバイトなんだから、一生懸命やったところで意味ないよ。ハッシーも一緒に帰ろ(当時はハッシーと呼ばれていました)」。
 そんな風に言われてしまうのです。パートとアルバイトという同じような雇用の立場にいる中で、ひとりだけ「いいカッコしい」をして頑張るのも気が引けます。私も一緒に帰ったほうが雰囲気的には気まずくならないですが、お店を任された以上、売り上げを上げたい気持ちもあるのです。その葛藤で日々悶々としていました。

 そのとき単純に思ったのが、「私が社員になればいいのか!」ということでした。同じような立場にいるから、同じような温度感と責任の度合いでないといけない感じがしてしまう。でも、立場が変われば、思いっきり仕事ができると思ったのですね。
 そして怖いもの知らずの私は、いきなり社長のもとに行き、「私、社員になります!」と直訴。社長は「はい?」と困り顔でしたが、なんとか正社員にしてもらうことができました。当時はまだ人事体制が整っていない時代だからこそ、できた力技かもしれませんが……(笑)。

 社員になり、ますます精力的に店舗運営に取り組みました。お客様の目を引きつけようと棚を明るく派手にしたり、明るめのカバーの本を置いたり、掃除を徹底したりと一生懸命やってみるのですが、思うように客足が伸びません。私が頑張れば頑張るほど、アルバイトスタッフは私がいる間だけしか働かない状態にも陥っていきました。「今日は橋本さん休みだから、のんびりやろうぜ」といった感じです。

 売り上げは目に見えて下がりだし、元旦のオープン当初、一日20数万円あった売り上げが、秋口には3万円を切るところまで落ちていって……。
 忘れもしないクリスマスの12月25日のことです。社長が突然、ふらっとお店に現れて、「橋本さん、もう限界だ。2号店のシャッター閉めよう」と思いもよらぬ宣告を言い渡したのです。

 聞いた瞬間、倒れそうになりました。自分には店長なんて無理だったんだ……。ひどく落ち込み、お店のスタッフにそのことを言えないまま5日が過ぎました。
 お正月休みの前日、30日にこっそり店の外で泣いていると「ハッシー、どうしたの?」と若いアルバイトスタッフから声をかけられました。私が「来月、お店を閉めることになったの」と告げると、衝撃を受けた様子で「だったら俺たちで売り上げ上げてお店を残そう! 社長を見返してやろう! ハッシーが休んでいる間に俺たちが頑張るから!」と血相を変えてお店に戻ったのです。

 私は田舎から舅と姑が来るため、大晦日から三が日まで休んだのですが、気が気ではありませんでした。でも、正月明けの4日にお店に行くと、棚には全巻揃った漫画本が並べられ、新しい本もぎっしり陳列されていました。スタッフもいつもと打って変わって元気な声であいさつし、買い取りや本の加工、棚出しに奔走しています。
 2号店はあきらかに変貌を遂げていました。売り上げは連日20万を超え、閉店の危機を逃れることができたのです。

そもそも、なぜ不振店に陥ってしまったのか? それは中古業の基本である買い取り(仕入れ)をしっかり行い、売り場に即座に出すという基本がなっていなかったからです。この仕事の本質をきちんと理解して押さえていなかっただけなんですね。そこに気づいていなかった自分の未熟さも痛感しましたが、2号店の奇跡の復活劇を通して得た現場での経験と知恵は、その後のブックオフの成長を支えるひな型にもなりました。

まさか自分が社長に!? 覚悟を決めるのは半端じゃなかった

 会社の発展とともに、私自身の役職も取締役、常務とステップアップしていきました。取締役と言っても、店長を兼務していたので、現場での仕事はなんら変わりません。うちは役員といっても、個室に机を置いてずっと座っている人なんて一人もいませんから。

 ある日、私がお店に出ていると、苦情を言いにきたお客様から「おばさんに言ってもしょうがないから、本部の人間を出せよ!」とすごい勢いで怒鳴りつけられたことがありましたが、「私が本部で取締役をやっている人間です」と言ったら、驚かれて拍子抜けされたこともありました。いかにも役員風じゃない私が、責任あるポストで働いているギャップを自分でもちょっと楽しんでいた節もあったかもしれません(笑)。

 ですが、2006年に次期社長に就任すると決まったときには、さすがに恐怖心でいっぱいになりました。東証一部上場企業のトップですから、覚悟を決めるのも半端じゃありません。
 社長が前々から事あるごとに「次期社長は橋本さんだよ」と周りに公言していましたが、「まさか自分が、そんなことあるわけないよね」と本気にしていなかったぐらいなので。

 ただ、あるマネージャーからこう言われたんです。
 「社長に○○の件で判断をあおいだら、『橋本さんはどう言ってる? 橋本さんがそう言ってるなら、それでいいよ』って言われたんです」と。
 その話を聴いて、うれしくなりましてね。あの創業社長が大事な判断を下す場面で、私の意見を参考にしてくれているということは、だいぶ信頼を置いてくれているのかなって。だとしたら、私のトップとしての判断がそんなに間違うことはない、思い切ってやってみるしかないか!と腹を括ることができたんです。

 私には現場で培った知恵やノウハウがあったとはいえ、難しい経営の知識やビジネススキルがあるわけじゃありませんでした。幸い、財務やITに強い優秀な役員がいっぱいいましたから、「チーム橋本」を結成して、皆の力を借りて船出することができました。
 やっぱり現場も経営も、皆の力がなければ成功できません。一人ひとりが自分の「やり場」で力を発揮して、支え合ってこそ繁盛していくものですからね。

 パートとして右も左もわからず入った自分が16年後に社長になっているなんて、お店のスタッフも家族も、私でさえも想像していませんでした。ですが、どんな仕事でも一生懸命、極めていけば、いつか花開くときが来るものなのですね。
 「ここだ!」と応募して採用されたら、それはとてもラッキーなことだし、その場所は少なからず縁があるということ。私も栄養士の仕事に就くことにこだわり続けて、ブックオフの仕事を腰掛け程度に考えて働いていたら、今の自分はないと思います。
 与えられた自分の「やり場」で人に負けない働きをすれば、経営者はそういう人を決して粗末にはしません。もっとやりがいのある仕事、責任あるポジションを任せてくれるはずです。

 どうぞ、自分だけの「やり場」を見つけてください。そして、いつか自分の花を咲かせましょうね。

橋本さんの新人時代の名仕事
18年のブランクを経て、41歳でパート入社。現場で様々な業務改善のアイデアを生み出した。中古業は「売ってくださるお客様がいなければ成り立たない」ことを強く感じ、「本、買い取ります」という言葉から、「読み終わった本、お売りください」の名フレーズを考案。売り上げにも大きく貢献した。
1991橋本会長PA時代
取材・文/伯耆原良子
撮影/清水聖子
▼橋本真由美さんプロフィール 1949年生まれ。福井県出身。69年一宮女子短期大学家政科卒業後、京都の給食会社に栄養士として就職。その後、福井の病院で栄養士として働いた後、結婚を機に退職。横浜に移り住み、娘2人を育てる専業主婦に。90年4月、ブックオフ直営1号店である千代田店(神奈川県相模原市)にパートスタッフとして入社し、91年1月には2号店の上溝店(同)にて、パートの立場のまま店長に。同年8月に正社員となる。94年取締役就任、2003年常務取締役就任とステップアップし、2006年には代表取締役社長兼COOに就任。現場の母として、若い店長や幹部社員を次々と育て上げる。プライベートでは5人の孫がいる。タレントの清水国明氏は実弟。
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