【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #03 宗次德二

【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #03 宗次德二

今や業界では雲の上の存在と思えるような成功者やその道の第一人者でも、 最初は誰もが新人であり、多くのつまずきや戸惑い、苦労を経験しています。誰だって最初からできたわけじゃない。初めから自信があったわけじゃない。 人生の様々な節目での、あの人の「新人時代」にフォーカスし、明日への勇気に繋がるヒントをお届けします。




今回のゲストは、「ココイチ」の愛称で多くの人に親しまれる、「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者、宗次德二さんです。1974年に夫婦二人三脚で始めた名古屋発の喫茶店が、今や国内外に1450店舗以上展開する一大企業へと成長。その偉大なる功績のはじめの一歩となる、宗次さんの新社会人時代、そしてココイチ創業の誕生秘話をじっくりとお届けしたいと思います!


誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次德二さん

自分の心の思うままに、信じた道を突き進んでほしい
一歩一歩進んだ先が「あなたの未来」そのもの

初めての仕事は不動産の仲介業。内向的な自分が家を売る営業職に!

私は実の両親を知らず、生まれてまもなく孤児院に預けられました。3歳の時に養父母に引き取られたのですが、父がかなりのギャンブル好きで生活に困窮する日々を送ることに。その父も15歳の時に亡くなってしまい、高校時代はずっとアルバイトをしながら学費や生活費を稼いできました。

 ただ、将来の進路だけは高校1年の時からすでに決まっていました。
 というのも、東京・秋葉原で電気店を営む親戚から、「卒業したら、うちに来なさい!」と言われていたんですね。でも、卒業の間際になって、「やっぱり自分は名古屋に居たい!」と強く思うようになり、急きょ自分で就職先を探すことにしました。ちょうど自動車の免許を取ったばかりだったので、「運転好きだし、将来的には自動車学校の教員になれたらいいな」なんて漠然と思っていたんです。

 まずは新聞の求人広告を見ながら、「車の運転ができる仕事」という条件で探していったのですが、よさそうな会社があったので面接に行くと、そこは不動産会社でした。どんな仕事をするのかもよくわからないまま、学生服で面接に行ったのですが、なぜだか即採用されまして。行き当たりばったりな感じもしますが、ひとまず卒業後は無事に生活ができると安堵しました。

 初めての社会人生活で、ネクタイの結び方も全くわからず……。幸い、会社は社員30数人ほどのこぢんまりとした職場だったので、そうした新入社員への身なりの手ほどきや仕事のやり方も一から丁寧に教えてもらえたので、ありがたかったですね。
 最初に私が携わった仕事は、不動産の仲介業です。もともと内向的な性格で、営業トークなども流暢に話せるタイプではありませんでしたから、どうしたものかと思いました。ただ、販売する住宅そのものは信用性の高いものでしたし、企業の総務部経由で社員さんたちに住宅を斡旋する仕組みが整っていたので、頼りない新人の私でも話は聴いていただけました。

 私の場合、トークがうまくない分、心を込めて対応するしかないなと、営業マンらしく振舞いました。お客様が仕事から帰宅された夜に訪問し、時には夕食もご一緒しながら、地道に信頼関係を築いていきました。
 一棟、また一棟と売れていく中で、まだ20歳前の若者である自分がお客さまにとって大きな買い物である「家」を売るという仕事に、やりがいや醍醐味も感じていました。
 入社して2年半が経った頃、本社のある川崎市に転勤になったのですが、半年経ったところで「やっぱり自分は名古屋に帰りたい!」と地元で働ける新たな転職先を探そうと決意しました。よほど地元が好きなんでしょうかね(笑)。

 名古屋に支社のある住宅建築会社の内定をいただき、いよいよ入社する2日前に、たまたま求人欄を見ていたら、ある求人広告が目に留まりました。
 こちらもプレハブ住宅会社だったのですが、ちょっと話を聴くだけならいいかと電話してみると、入社したばかりの営業職の人が対応してくれたんですね。するとその人が、「絶対うちの会社に来たほうがいいよ! 面接に来なさい!」とやたら熱心に勧めてきまして。
 私も素直な性格ですから(笑)、「じゃあ、そうします」と内定先に入社前日に丁重にお断りし、新しい会社のほうに面接に行きました。無事、採用されたのですが、その選択こそが、人生最大の出会いが訪れる「運命の分かれ道」だったのです。

運命を変えるパートナーとの出会い。二人三脚の新たな仕事人生が始まった!

転職先に入社すると、男だらけの職場に紅一点、課長のアシスタントで20歳ぐらいの女性社員が働いていました。上は70代から下は20代まで幅広い年代の男性社員が働くその職場は、朝からお酒の匂いが漂うような男所帯だったのですが、そんな中でも、彼女はいつも爽やかな佇まいでテキパキと働いていたんですね。
 やれ「お茶を入れてくれ」「タバコを買ってきてくれ」という男性社員からの要望にも、決して笑顔を絶やさず、颯爽と働く姿に、私はいつの間にか心を奪われていました。

 入社2カ月後、彼女の誕生日があったので、想いを届けるべく、自分が好きなクラシックのレコード(ヴィヴァルディの『四季』)をプレゼントしたところ、反応はイマイチ。どうやら同僚の友人に「クラシックが好きな男性なんてねぇ。しかも髪型は七三で、ズボンの丈も短いし……好きではないタイプ」と言っていたようで、前途多難なスタートでした(笑)。

 それでももちろん、あきらめる気はありません。毎日、仕事が終わると彼女を家まで送り届け、休日には朝も7時半頃から家に行き、まさに猛アタックを続けました。出会って2カ月ぐらいで自分の中ではもう、「彼女と結婚する!」と決めていましたから、必死です。
 あまりの熱意に彼女もとうとう根負けして、「100万円貯めたら結婚してもいいよ」と言ってくれました。それからですね、私の運命の矛先が少しずつ変わっていったのは……。

 23歳でめでたく結婚し、一年後には自宅を建て、その一室を事務所にして不動産仲介業をスタートさせました。年間で建売を4棟売るほど、経営ぶりはなかなか順調でした。夫婦二人が優に食べていけるぐらいの収入がありましたし、毎日パチンコに通えるぐらいのんきな生活をしていました。
 ただ、不動産業は決まればまとまったお金はもらえますが、必ずしも安定する職業ではありません。契約が取れなければ収入ゼロということもあり得ます。それに自分はこのままこの仕事をやり続けるんだろうなと思いつつも、心のどこかで何とも言えない物足りなさも感じていたのも事実。

 そんな時にふと、「喫茶店だったら現金収入になるし、妻にやってもらったらどうか?」と思いつき、話してみると、「やってみたいわ!」と二つ返事で返ってきたんです。

 そうなったら“善は急げ”で、不動産屋さんに電話し、「どこかに店ができるところはないですか?」と早速、店舗探しです。即断即決タイプの私たち夫婦は、最初に紹介してもらった三流立地の店舗で決めてしまいました。開業資金700万円のうち、200万円は自己資金があったので、残りの500万円を信用金庫でなんとかお借りして、オープンにこぎつけました。
 工事の期間中にコーヒーの淹れ方を学ぶという見切り発車ぶりは、我ながら後先考えてないな、と(笑)。でも、最初からガチガチに考えすぎてもきっとうまくいかないんじゃないかと思ったんです。形ではないと思っていたので、実際に現場で揉まれながら習得していこうと私たち夫婦は走り始めました。
 そしていよいよ念願の喫茶店「バッカス」がオープンしたのです。

店内を埋め尽くす大勢のお客さまに感動! 喫茶業一本で行くと決めた

オープンの日のことは今でも忘れられません。
 お店に手伝いに行った私は衝撃を受けました。開店するや否や、店内は一瞬にして、お客さまでいっぱいになったのです。開店の物珍しさで来店した方も大勢いたでしょうが、どんなお客さまであれ、まずうちの店に足を運んでくださったことが、心の底から嬉しくて、妻と二人で拍手するほどでした。

 その時、自分の中から熱いものがふつふつと込み上げました。それまでは妻に喫茶店を任せて、自分は不動産業を続けようと思っていたのですが、「喫茶業一本でやっていけないだろうか?」と思ったんですね。
 そう思ったと同時に、不動産業は廃業を決めていました。「これからは夫婦で喫茶店をやっていこう!」。無謀にも素人の若い二人と数名のパートさんでお店を切り盛りする日々が始まったのです。

 当時から名古屋の喫茶店では、コーヒーを注文すると厚切りトーストやゆで卵などが無料で付く「モーニングサービス」を提供するのが一般的でした。ですが、私たちの店では「モーニングサービス」は一切行いませんでした。それからコーヒーに付けるピーナッツなどのおつまみのサービスも一切なし。ピーナッツは有料で30円いただくことにしました。
 当初はガッカリされたお客さまもおられたでしょうし、喫茶業の先輩方からもこんなに強気でやっていけるのか?と心配されていましたが、私たちは何かサービスでお客さまを獲得するようなやり方が性に合わなかったんですね。

 それよりも、とにかく笑顔であふれたお店にしたい。私たちの一番の売りは、心からのおもてなしと笑顔にあると信じ、そこだけは譲れなかったのです。
 例えば、サンドイッチは最後の一口まで具材がキッチリ残るように丁寧に作り、からしの有無や量も注文の際に伺って対応したりしていました。最初は私もキッチンに入って調理をしていたのですが、お客さまが出入りする度に手を止めて「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」と元気よくあいさつするものですから、調理がぜんぜん進まなくて。妻に「私がやるからいいわよ!」とよく怒られていました(笑)。

 繁華街でもない、アクセス的にも決して良い場所とは言えなかったのですが、それでもじわじわと客足が伸びて、すっかり繁盛店に。開店10カ月後には2号店を出すことを決意し、1年後には2号店の「浮野亭」をオープンしました。
 でも、その選択が思わぬ苦労を招くことになったのです。

2号店が客足パッタリ。でも、必ず真心は届くと信じ、自分たちのやり方を貫いた

この2号店が、全くもってお客さまが入らなくてですね。さすがの私たちも時期尚早ではなかったか?と内心、焦りました。最初の半年間は経済的にも苦しく、二人でパンの耳を食べていました。

 でも、コーヒー一杯に真心を込めて、一生懸命接客していけば、必ず2号店もお客さまでいっぱいになる! そう強く信じ、自分たちのやり方は変えず、貫きました。それに私たちが作るメニューの味にも自信がありましたから。
 「名古屋で一番自慢のウィンナー珈琲」。それを前面に押し出して行ったところ、やがてウィンナー珈琲を目当てに遠くからいらっしゃるお客さまも増えていきました。半年が過ぎた頃には、常に満席状態に。なんと1号店、2号店ともに地域で一番の繁盛店になったのです。

 席は15席しかありませんでしたから、これ以上売り上げを伸ばすのは限界があると感じ、新たに出前を始めることにしました。そのためには食事メニューを充実させようと、ライスメニューとしてピラフと、カレーライスを取り入れたんです。家で食べていたカレーが美味しかったものですから、それを売りにしていこうと。家庭で作るいつものカレーにスパイスを3種類ほど独自に調合し、「ポークカレー300円」で売り出したところ、毎日30食出るほど人気メニューになりました。「3号店はカレーの店で行こう!」と、これまた勢いづいてしまったんです。

 ただ、カレーだけじゃ飽きられるかもしれない……とさすがに思いましてね。飲食業界誌をめくると、牛丼が話題になっていたので、都内の人気店を10数店舗、視察に行ってみることに。当初はカレーと牛丼の店「C&G」(カレーと牛丼の頭文字をとって)にしよう、などと考えたりもしました。
 でも、どんぶりものは自分が描いていたイメージに合わないなぁと思い直し、やっぱりカレー一本で行こうと腹を決めたんです。
 「カレーが人気メニューだから、3号店はカレー専門店を作ろう」だなんて、もし経営コンサルタントの先生が聴いたら、普通は大反対されるでしょう。ですから他の誰にもアドバイスを求めませんでした。カレーが美味しいと評判のお店を10軒以上食べに行きましたけど、どんなお店よりも、場末の喫茶店の私たちが作るカレーのほうが絶対に美味しいと思いましたから。

 東京での視察の帰り道、新幹線の車内でC&Gに代わる屋号として「ここが一番美味しい!」で、「ここが壱番や(CoCo壱番屋)」はどうだろう?とスッと出てきました。名古屋に着いて、真っ先にお店に戻り、妻に店名を書いたメモを見せると、「いい名前ね!」と一言。
 きっとこの店もうまくいく……。そう確信しました。

周りにどう思われるかは関係ない。自分はどうしたいか? どうなりたいのか?

お店に来てくださったお客さまの表情や下げられた器を見れば、自分たちの何が良くて何がいけなかったのかがわかります。その日、その瞬間の生きた現場が、改善点や次へのアクションを教えてくれるのです。
 アンケートはがきも導入しました。クレームや応援も含めて、アンケートはがきはココイチへのファンレターだと思っているので、お一人お一人の声に耳を傾けようと毎日1000通ものはがきに目を通しました。
 「お客さま本位であること」。そして「現場主義を貫くこと」。これらは、ココイチが大切にしてきた信念です。

 普通は、出店の際にどれぐらいの来客数が見込めるか、その土地の市場調査をしたり、ライバル店の動向を探ったりして決断するのでしょうが、私たちはそうした外界の情報は一切気にしませんでした。それよりも、自分たちはお客さまのために何をすべきか? どうあるべきなのか? それだけを追求してきたように思います。
 このやり方が正しいかどうかはわかりません。ですが、少なくとも私たちにとっては、この信念を貫くことこそが、一番の戦略だったのではないかと思います。

 今日に至るまでなかなかに険しい道のりでしたが、ひとりの内気な青年が、よくぞここまで歩いて来られたなとしみじみ思います。頼もしい妻と出会い、多くのお客さまや社員、協力者と出会ったことで、勇気を得て、自分らしい(自分たちらしい)道を切り開くことができたかなと感じています。
 常々、私が心の中心に置いてきたのは、「自分は本当はどうしたいか? どうなりたいか?」ということでした。周りにどう思われるかは関係ありません。自分の心に素直になり、目指す方向に向かって、脇目もふらずまっしぐらに「一歩一歩」着実に歩んできた結果、今があるんですね。

 目指す方向に確実に向かうためには、夢を持つのではなく、「目標を掲げ必達すること」です。夢を持つだけだと、足元がぐらついてなかなか達成できないですから。
 飲食店をオープンしたばかりのある夫婦が、「私たちの夢はニューヨークでチェーン店化することです!」と豪語していましたが、数カ月後には閉店していた、なんていうこともありました。夢を叶えるためには何年計画で初年度はどうするのか?と、詳細な目標に落とし込むことがやっぱり大事になってくるんです。

 それに目標があると毎日が楽しくなりますよね。日々流されて惰性で生きると、やらされ感や義務感が生まれて途端につらくなりますから、若い皆さんにはどんな小さな目標でも必ず持つことをお勧めしたいです。

 未来はどうなるか、誰にもわかりませんが、自分の心に素直になって、自分の信じた道を突き進んで行ってほしい。一歩一歩、進んだ先が、「あなたの未来そのもの」なのですから。

宗次さんの「ココイチ」創業時代
名古屋の北西に位置する、愛知県西枇杷島町(現・清須市)に「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店をオープン。どこか懐かしい家庭の味を感じさせる自慢のカレーライスで瞬く間に人気店に。創業以来、「趣味も友人も作らず、飲みにも行かず仕事に邁進してきました。それが創業者としての務めだと思いましたし、何よりこの仕事に惚れ込んでいた」と宗次さん。その愛情こそが美味しさの秘訣。
5章●浜島×宗次 (1)
4章●店内 (1)
3章●メニュー (1)
取材・文/伯耆原良子
撮影/清水聖子
▼宗次德二さんプロフィール 1948年生まれ。石川県出身。生後まもなく孤児院に預けられ、3歳の時に、宗次姓の養父母に養子として引き取られる。生活に困窮するなど苦労を重ねてきたが、高校卒業後に不動産会社に就職し、持ち前の誠実な営業ですぐさま頭角を現す。転職して出会った、後に妻となる直美さんと23歳で結婚し、その翌年に不動産仲介業を独立開業。さらに翌年の74年に喫茶店「バッカス」を開店し、7オープンさせた5年には2号店の「浮野亭」を。メニューの一つだったカレーが人気を呼び、78年カレー専門店の「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業。その後、社員独立による独自のフランチャイズシステムを確立し、国内のみならず海外にも出店。2005年5月には東証一部に株式上場。一方、自身は02年5月31日をもって会長職を退き、現在は「カレーハウスCoCo壱番屋」の創業者として多方面で活躍。また、03年に特定非営利活動法人イエロー・エンジェルを設立し、音楽やスポーツの振興など様々な慈善活動にも取り組む。07年にはクラシック音楽の普及を目的に、私財を投じて宗次ホールを建設するなど精力的に活動。

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