【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #07 小椋久美子

【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #07 小椋久美子

今や業界では雲の上の存在と思えるような成功者やその道の第一人者でも、 最初は誰もが新人であり、多くのつまずきや戸惑い、苦労を経験しています。誰だって最初からできたわけじゃない。初めから自信があったわけじゃない。 人生の様々な節目での、あの人の「新人時代」にフォーカスし、明日への勇気に繋がるヒントをお届けします。


今回のゲストは、「オグシオ」ペアとして注目を浴び、2008年の北京オリンピックでは5位入賞、全日本総合バドミントン選手権では5連覇という偉業を成し遂げた小椋久美子さん。バドミントン界のエースとして、後進の選手たちをけん引してきました。引退後の今もバドミントンを通じてスポーツの楽しさ・魅力を伝える活動に力を注ぎ、輝きを放ち続けています。小椋さんの人生を変えたバドミントンや潮田玲子選手との出会い、そしてオリンピックまでの闘いの道のりをじっくりとお伝えします!

誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語

バドミントン 元オリンピック日本代表/バドミントン解説者 小椋久美子さん

オリンピックは実力だけじゃ出られない。
運を引き寄せる努力と皆の支えで叶えられた!

バドミントンさえできればそれで幸せ。気づいたら全国大会に

 バドミントンを始めたのは8歳の時。姉の影響で始めたのですが、やればやるほどどんどん夢中になっていって。シャトルを追いかけたり、ショットを決めたりするのが、とにかく楽しくて仕方ありませんでした。
 試合に出るようになって、地元・三重県の県大会や東海大会と勝ち上がっていきましたが、当時は「大会で1位になりたい!」という想いよりも、純粋に大好きなバドミントンができるのがうれしくて、一試合、一試合、集中して取り組むうちにいつの間にか順位が上がっていったという感じです。小学6年生の時に全国大会に出場して、そこで初めて玲ちゃん(潮田玲子選手)と出会いました。

 私自身、“バドミントンさえできればそれで幸せ”という子でしたから、「どの選手が強い」という情報も全くと言っていいほど知らなくて(笑)。ただ、玲ちゃんのことだけは「すごい強い選手がいる」と聞いていて、実際にプレーを見て「この人には絶対勝てない!」と衝撃を受けた記憶があります。当時の私にとっては雲の上の存在でしたね。
 実際、小、中と2回対戦しましたが、すでに気持ちで負けてしまっているせいか、ボロ負け……。玲ちゃんに初めて勝ったのは高校生になってからです。

 中学に進むと、もともと子どもと触れ合うのが好きだったこともあり、将来は保育士になりたいという夢も芽生えました。県内の高校を卒業したら、短大に入って保育士の資格を取ろうと漠然と思い描いていましたが、中3の時にバドミントンの全国大会で3位になり、大阪の強豪校である四天王寺高校から推薦の話をいただいたんです。まさか自分が推薦されると思っていなかったので、本当にビックリしました。

 どうやらその時の試合を三洋電機の監督が見ていたみたいで(高校卒業後に所属することになる)、その監督が高校の先生に、「この子はいずれ大物になる可能性があるから、ぜひ採ってほしい。3年後にうちのチームに入れたい」と推してくれていたのです。
 というのも、私が強豪選手を相手に臆することなく対戦し、勝ち上がるたびに大喜びするので、「この喜びようは一体何なんだ?? この子はもしかしたら伸びるかも」と好意的に受け取ってくれていたそう。それは単に私が相手の実力を知らずに臨んでいたというのと、試合で勝つのが単純に嬉しかっただけなんですけどね(笑)。普通、全国大会に出るような選手は、勝ってもいちいち喜はずに次の試合に備えるものらしいですが、私はちょっと変わっていたようです。

 田舎の小さな町の出身で県外に出る人は少ないこともあり、地元を離れるのはとても勇気がいりましたが、両親や顧問の先生からも「地元のことはこっちに任せてくれていいから、自分の好きな道に行きなさい」と後押しされ、バドミントンの世界へと突き進むことになりました。

潮田選手と初めてのダブルス。不思議なほど相性が合った!

 高校では強豪校だけに練習もとてもハードなものでした。監督も相当怖くて、何度も辞めたいと思ったほど……。
 ただ、厳しい練習のせいか、実力はメキメキついてジュニアの全日本の合宿にも呼ばれるようになりました。シングルスプレーヤーとしての参加でしたが、ある時、合宿の練習メニューでランダムにダブルスを組むことになって。そこには玲ちゃんも参加していて、最後に名前を呼ばれたのが私と玲ちゃんの組だったんです。おそらく先生たちも、この2人にダブルスを組ませたら面白いじゃないかと思ったんでしょうね。

 実際に組んでみると、とても相性が合いました。初めてのダブルスだったのですが、前衛、後衛のポジションに関係なく、お互い臨機応変に動けましたし、攻撃のリズムも合っていたので、最初から2人で力を発揮できたのが不思議でした。高校2年と3年の時に、ジュニアの世界大会にペアで出場し、ヨーロッパの大会で2位に。ますます「また玲ちゃんと組みたい。世界に挑みたい」という想いが強くなっていきました。その頃からですかね、オリンピックが視野に入ってきたのは。それまでは遠い夢でしかなかったのが、目標の圏内に入ってきた感じです。

 ただ、不運なことに高3の時にヘルニアを患ってしまいました。その時は練習も休まざるを得ず、復帰しても結果がなかなか出ない状態に。「このままだったらバドミントンを続けられない。辞めて実家に帰ろう。やっぱり保育士を目指そう」と本気で思いました。
 そんな悩みの渦の中で、三洋電機のチームからなぜかオファーをもらったんです。それにはさすがに驚きました。こんな結果も出ない、爆弾を抱えた私を欲しいと言ってくれている――。ある意味、会社も大きな賭けなのだろうと思いつつ、その期待に応えたいと強く思いました。
 当然、玲ちゃんと一緒に組みたいという想いがあったので、彼女にも誘いの声をかけ、無事に2人で入社することができました。

 厳しいチームと聞いていましたが、練習は想像以上に過酷なものでした。毎日怒られながらも必死に食らいつき、選手としての肉体や精神の土台が築かれた1年目だったと思います。
 その成果もあってか、1年目の全日本総合バドミントン選手権のシングルスで優勝することができました。プレッシャーもなかったですし、思い切ってプレーできたんでしょうね。シングルスにも思い入れがありましたが、やっぱりダブルスで玲ちゃんとオリンピックに行きたいという夢がずっと心にあって。2人でアテネに出たいという気持ちが高まりました。
 でも、またもやアクシデントに見舞われるハメになったのです。

アテネの代表選考レースを目前に大怪我。絶望にさいなまれた

 アテネオリンピックへの出場をかけた1年間の選考レースが始まった直後、大きな怪我をしてしまったんです。骨折だったので手術後、半年間はリハビリのため休養しなければなりません。オリンピックのレースに半年間出られず、残り半年間でしかもリスクを負った状態で戦えるんだろうか……と、奈落の底に落とされたようなショックに陥りました。それに待ってくれている玲ちゃんにも申し訳がない……。色々な想いが駆け巡りました。
 手術を受けたら半年間離脱することが決定的になるので、それを認めたくなくて、1週間、激痛に耐えながら手術をしない選択肢を探ってみたり。今思えば、むなしい抵抗なのですが……。

 その時に、今まで私のことをそばで見てきたコーチに言われたんです。
「怪我をしたことには意味がある――」と。
 他の人のどんな慰めの言葉も耳に入ってこなかったのですが、そのコーチの言葉だけがスっと心に沁み渡りました。そして、今までの自分を振り返ってみることにしたんです。
 シングルスで優勝して以来、どこかうぬぼれていたり、過信したりしていなかったか? 1年目の過酷な練習に必死に食らいつき、がむしゃらにやって来たあの頃の自分と比べて、今の自分は本当に頑張れているのだろうか? プライベートでも人に対して優しくできていたのか? などなど。
 プレーヤーとしても人としてもダメな方向に行っていた自分に気づきました。

 意味のある怪我だったと心の底から気づいた時、「手術を受けて絶対復活しよう。オリンピックに出場しよう!」という目標ができて、そこから這い上がることができました。
 半年のリハビリを経て、残り半年のレースに出場しましたが、オリンピックへの切符は手にすることはできず……。もしかして1年間フルに戦えていたら、出られる可能性もあったかもしれませんが、あの時の甘い気持ちのまま出ていたら、オリンピックの本当の価値を感じられなかっただろうと今は思えます。
 オリンピックに出られるかどうかって、やっぱり実力だけじゃないんです。積み重ねてきた努力から生まれる運や気迫もひっくるめて出られるものなんです。それは痛みをこらえながら死ぬ気でチャンスをつかんだ先輩たちの姿から、そう強く感じました。
 
 アテネに出られなかったことは悔しかったですが、玲ちゃんと「4年後の北京は絶対出よう! 死ぬ気でやろう!」と誓うことができたのは良かったんじゃないかと思います。そのためにはまず「日本一になろう!」と目標を掲げ、オリンピックに向けて気持ちを新たにしました。
 
 その4年間は人生のどの4年よりも長く、過酷な日々でした……。

オリンピックには魔物がいる、という伝説は本当だった

 2人の念願が叶い、無事に日本一になることができました。喜びもひとしおで、「これでオリンピックに近づいた!」と胸いっぱいになりましたが、今度は失うものができたことから、次の試合から度々プレッシャーに押しつぶされそうになっていきました。
 
 「私は毎日こんな練習をしていて追い抜かれないだろうか?」と、練習の仕方すら分からなくなるほど闇に落ちていったり。メディアからも注目されるようになり、周囲からの期待を過剰に背負うようにもなってしまいました。
 北京オリンピックへの出場が決まり、さらに練習にも追い込みをかけていく中で、大会3か月前にまたもや怪我を負ってしまったんです。そんな思わぬアクシデントもなんとか乗り越え、実際に現地に着いてみると「意外と平常心かも!」と感じていたのが、初戦で自分たちの名前がコールされた途端に、緊張が増してきて。どうやら現地の人たちの自国への応援の熱気に圧倒されてしまったようです。
 会場全体が窮屈な箱に詰められたような感覚で、のびのびプレーできなかったのが正直なところ。オリンピックには魔物がいるというけれど、あれは本当の話かもしれませんね。

 私自身、“あの頃の私”に向かって言ってあげたいことがあります。
 それは、「今の自分を信じてあげてほしい」ということです。
 あの時の私は「メダルを持って帰らなきゃ!」と先のことばかり案じていて、今ここにいる自分の足元を見つめていなかったのです。あれだけ厳しい練習をして、努力を重ねてきたのだから、その自分をしっかり認めて信じてあげられたら、もっと本番で力が抜けていいパフォーマンスができたんじゃないかなって思うんです。
 ただ、もう一回あの舞台に立ちたいかというと怖すぎて、「もういいです!」と思いたくなるほどなので、後悔はしてないですし、その時の精一杯のチカラだったと思います。

 引退を決めた後も自分の進む道に試行錯誤したり、悩んだりした時期もありましたが、今はあの4年間、死ぬ気で頑張れた自分を誇りに思うことができるので、周りを気にせず、「今ここにいる自分」を信じて進むことができているように思います。
 これからはもっと自分らしく、肩の力を抜いて新たな夢に挑戦できそうな気がします!

小椋久美子さんの新人時代
高校卒業後、三洋電機に入社し、潮田玲子選手と共にバドミントン部に所属。「ダブルスのペア同士が同じチームに同期として入ることってなかなかないので嬉しかったですし、毎日一緒に練習できたことが貴重な経験でした。ダブルスだとお互い調子のいい時、悪い時の波があります。相手の調子を感じ取って自然とカバーし合ったり、その都度話し合って課題を解決できたことが勝因につながったのかなと思います。何より心から信頼し合えるパートナーに出会えたことは人生の財産です」(小椋さん)
写真提供:(公財)日本バドミントン協会
取材・文/伯耆原良子
撮影/清水聖子
▼小椋久美子さんプロフィール 1983年生まれ。三重県出身。8歳の時、姉の影響を受け、地元のスポーツ少年団でバドミントンを始める。中学卒業後、大阪府の四天王寺高校へ進学。2000年に全国高校総体でダブルス準優勝、2001年の全国高校選抜でシングルス準優勝を果たす。ジュニアの全日本の合宿で潮田選手とダブルスを組み、ジュニアの世界大会で好成績を残す。三洋電機入社後の2002年には全日本総合バドミントン選手権シングルスで優勝。その後、怪我を乗り越え、ダブルスプレーヤーに転向。「オグシオ」として名実ともに日本を代表するエースとなり、北京オリンピックで5位入賞、全日本総合バドミントン選手権では5連覇を達成する。2010年に現役を引退し、現在はスポーツ解説や講演、子どもたちへの指導を中心にバドミントンを通じてスポーツの楽しさ・魅力を伝える活動に力を入れている。
MinSuku
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