【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #01夏野剛

【Special interview】誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語 #01夏野剛

今や業界では雲の上の存在と思えるような成功者やその道の第一人者でも、最初は誰もが新人であり、多くのつまずきや戸惑い、苦労を経験しています。誰だって最初からできたわけじゃない。初めから自信があったわけじゃない。人生の様々な節目での、あの人の「新人時代」にフォーカスし、明日への勇気に繋がるヒントをお届けします。


誰もが最初は新人だった。あの人の”はじめて”物語

慶應義塾大学 特別招聘教授 夏野剛さん

組織という枠に自分の可能性を閉じ込めず、 自由に羽ばたくのが21世紀の新人のあり方

バリバリ文系なのに技術系の部署に配属。自分に何ができるか?と日々模索

大学を卒業して、最初に勤めた会社が東京ガスでした。僕は政治経済学部出身でバリバリの文系なんですけど、配属されたのは本社の都市開発をする部署で、都市のエネルギーシステムを企画設計、開発したりするような技術系の事業部だったんです。当然、先輩や同僚たちは皆、建築学科や機械学科などの理工系出身の人ばかり。そんな技術畑の社員がほとんどの中で、なぜか異色の新人がまぎれ込んでしまったわけです。

その部署というのは東京ガスの中でも新規事業にあたり、都心の各ビルが稼働させている空調(冷暖房)を1カ所のセンターから都市全体のビルに送り込むという供給システムを企画設計したり、開発することが主なミッションでした。空調のエネルギー供給システムを一極集中させることで、かなりの省エネにもなりますから、東京都や国のバックアップを得ながら、大手ディベロッパーやゼネコンに対してシステムの提案をすることがメインの仕事になります。

ただ、僕自身は建築や機械の知識がないので「自分に何かできることはないか?」と日々模索していたところ、先輩たちが提案書づくりに苦戦しているのが目に入ったんですね。
入社したての1988年当時は、まだコンピューターが一般的に使われていなかった時代ですから、提案書は自分たちで原稿を作ったものを印刷会社に提出して製本してもらっていたんです。

僕は中学・高校時代から、根っからのコンピューターオタクだったこともあり、「これって、もしかして自分で作ったほうが早いんじゃない!?」と提案書づくりに名乗りを上げ、作り始めてみたんです。
期日までに、エネルギーシミュレーションをして、どういう機械構成にしたエネルギープラントを作ったらよいのか? どのぐらいの数や広さが必要なのか?を図面にしていくのですが、そのシミュレーションはこれまで「ベーシック」という言語で組まれているソフトを使っていたんですね。その作業は結構、時間がかかるものでした。

それを表計算ソフト上でできるのではないか?と思い、新たなソフトを作成してみたところ、一瞬にして答えがババッと出てしまった。これには周りも驚き、以来、提案書を作る仕事は僕のところに回ってくるようになったんです。

でも、作るのが楽しいからと、ガンガン依頼を受けてしまって、僕だけ残業時間が膨大に。きっと「自分にしかできない」ことを見つけた喜びと自負もあったんでしょうね。
さすがに自分一人で作業をしていたら、パンク寸前になってしまったので、同僚たちにもやり方をシェアして、担当してもらいました。そんな多忙な毎日が1年、2年と過ぎていったとき、自分にとって転機となるようなチャンスにめぐり合ったのです。

自社主催のコンペに社名を隠して参加。無謀にも思える戦いに挑む!

それは東京ガスが主催する、「建築環境デザインコンペティション」の告知を見たときのことです。このコンペは、建築デザインと環境設備のトータルなデザインを考えるアイデアコンペなのですが、「これに自分たちが応募したら、どうなるだろう? ひょっとしたら受賞も夢じゃないんじゃないか!?」ってピンと来たんですね。

まず、自分の会社が主催するコンペに応募すること自体、異例のことですし、応募者の多くがゼネコンや設計事務所で働く建築専門の強者ぞろいです。入賞するのが難しいことは百も承知でしたが、どうしても自分たちの実力を試してみたかったんですね。

そこで自分がリーダーとなって、建築学科や理工学部出身の同僚たち6人に声をかけて、チームを作り、コンペに参加することにしました。といっても、事務局に社員だとバレたら応募させてもらえないと思い、おそるおそる部長に相談しに行くと、「応援してやるからやってみろ!」と力強い後押しをもらえて。「ただし、会社名を出さずに、違う名前で出しなさい」と助言をもらい、期日までに有限会社まで作って、社名を変えてコンペに応募したんです。

審査が進むと、「この作品はもしや、うちの社員のものでは?」と事務局が気付き、物議をかもしたそうですが、審査員の方々から高評価を得たことで、これまで歴代の賞になかった「特別賞」という枠が特例で設けられ、賞をいただくことができたんです。
 
まさか事務局も、自社の社員に優秀賞などの賞を与えるわけにはいかなかったのでしょう。でも、そうそうたる建築家の審査員の方から評価してもらい、特別賞という栄誉を授かったことは自分自身やメンバーの心にも、まばゆい輝きをもたらしてくれました。
それは不可能にも思える、未知へのチャレンジが想像もつかない未来を運んでくれるということ。そして建築や設計のプロでもない、門外漢の自分たちでもメンバー全員の力を結集すれば、世間に通用するものができるんだ!と確信できたことです。

入社したての僕は一人で仕事を抱え込むことで、「俺ってすごいじゃん」みたいに自分の力を誇示しようとしていたところもどこかにあったかもしれません。でも、いろんな才能を持つ人たちが集まって、協力し合って考えることで、これまでにない尖ったアイデアが出てきたり、専門家集団を超えるような斬新な発想が生まれたりする。チームのパワーや業際の大切さをこのとき学んだ気がします。
ここでの成功体験は、のちの「iモード」の事業で、多種多様なメンバーが一緒になって新しい技術を生み出していく際の「原動力」にもなっていたかもしれません。
 
入社5年目になり、会社内でもその働きぶりを認めてもらったことで、アメリカにMBA留学させてもらえる機会に恵まれました。
このアメリカ留学こそが、自分の人生を変えてしまうほどの転機となりました。ここからの仕事人生は、まさに「初めて」の連続。それは同時に、波乱の道のりの幕開けとも言えるものでした。

インターネットの世界に生きると決めて大企業からベンチャーに。何もかもが衝撃だった

留学先には、ペンシルベニア大学のウォートンを選びました。ハーバード、スタンフォードに並ぶ、いわゆるアメリカのビジネススクールのトップ校です。この学校で新しい知識をどんどん得ていこうと、意気揚々と授業に参加したのですが、周りの学生たちはそれを上回るアグレッシブさで挑んできました。教授を質問攻めにするのはもちろん、授業で少しでも発言してやろう、どんなことでも吸収してやろうという意気込みがすごいのです。

自分も「英語力がまだまだだから……」なんて気にしていられません。積極的に発言したり、吸収していこうとさらにスイッチが入りましたね。
中でも熱心にのめり込んだのが、「インターネット・ビジネス」の授業でした。留学していた94年頃の日本は、インターネットを活用している企業はほとんどありませんでしたし、そもそもそれがビジネスに繋がるという概念がなかったので、衝撃が走りました。
当時、この分野を学べるところは、アメリカ以外の国ではありませんでしたし、いち早くその知識を先取りできたことは本当にタイミングが良かったなと今でも思います。

「インターネット・ビジネスの世界で生きることこそが、自分の道ではないか?」と思えるほど、大きな手ごたえを得て帰国すると、また新たな出会いが待っていました。
銀行に勤めていた知り合いが、とあるベンチャー企業の社長を紹介してくれるというのです。会合の場所は、とても一般の会社員が手の出ないような超高級なお店。そこに待っていたのが、ハイパーネットの社長でした。
当時は、ベンチャー企業が次々と立ち上がり、勢いに乗り始めているところだったので、「とにかくベンチャーってとんでもない可能性を秘めているんだな」と、ゾクゾクしたのを覚えています。

その数カ月後に、社長から「インターネットの事業を始めたい」と相談があり、内容を聞くと非常に画期的で、「このアイデアはまだ世界のどこにもない!」と感銘を受けました。それから徐々に手弁当で手伝うようになり、事業開始と同時にハイパーネットに正式に転職。いきなり副社長というポストで参画することになったんです。

大企業から一変、ベンチャー企業への転身です。ベンチャー特有の意思決定の速さとフットワークの軽さをまざまざと実感しましたし、お金の回り方もめまぐるしい。ベンチャーに融資する金融機関も多かったので、資金調達をバンバンして事業を推進していきました。アメリカのナスダックへの公開準備を進めるなど、エキサイティングな毎日を過ごしていましたが、思うように事業が伸びず、勢いに陰りが見えると、銀行も次々と融資の手を引いていき……。
いよいよ資金繰りが難しくなると、役員の報酬はカット、自費でアメリカ出張に行くなど、持ち出しで立て直しを図ろうとしましたが、それもむなしく倒産に至ってしまいました。在籍していたのは、ほんの一年半ほどです。

倒産する数カ月前に、松永真理さんに声をかけられ、すでにNTTドコモの新規事業に加わっていたのですが、倒産という結果を招いた経営者の一人であることは変えようのない事実です。財産も失いましたし、それまでのキャリアも失ったも同然です。さらには奥さん(前妻)にも逃げられ、究極のどん底を味わいました。家庭を顧みず、仕事漬けの毎日でしたから、そりゃ三行半を突き付けられて当然なんですがね……。

自分の心に深く突き刺さるような、人生の手痛い失敗を経験したと思っています。だからこそ、もう二度とこんな思いをしたくない。「次こそは絶対失敗しないようなビジネスモデルを作る!」と誓い、心血を注いで築き上げたのが、「iモード」です。
もしかすると、これらの失敗が活かされ、昇華した形が「iモード」とも言っても、過言ではないかもしれません。

自分は正直、人生の「成功者」ではなく、「挑戦者」だと思う

僕は今、「インターネット・ビジネス」を軸に活動し、7つの会社の取締役を兼任しながら、慶應義塾大学でも学生たちに教えています。
多くの重責を担う立場にありますが、正直言うと、必ずしも自分の人生は成功しているとは思っていないんですね。
これまでたくさんの失敗をして真っ暗闇の道を歩いたこともあったし、せっかく始めようとしたことも妨害されて、進むに進めない辛さを味わったことも多々ありましたから。
でも、それでもやり続けてきたのは、「挑戦することをあきらめない」ということでした。

やっぱり、新しいこと、未知のことに挑戦しないと自分の中に眠る可能性も、未来も切り開かれていかないから。

20世紀はどこかの組織に属していなければ専門家になれなかった時代でした。組織があって個人がある、という図式です。
ところが21世紀は、インターネットが広がって誰でもどこでも情報を入手したり、発信できるようになったことで、個人が組織に属さなくてもある分野の専門家として確立できる時代になりました。完全に組織と個人のパワーバランスが変わってしまったのです。

だからこそ、どんな会社に属したとしても、どんなにいい職場に恵まれたとしても、それは人生の中の一つのステップでしかなくて、会社はあくまで自分のやりたいことを実現させるための場として活用する。そのようなマインドで挑戦し続けることが、幸せな働き方に繋がるんじゃないかと思うんですね。

20世紀に壁にぶつかりながら、もがきながら、今のような一つの組織に縛られない働き方を開拓してきた僕からすると、この“今という開かれた時代”で挑戦できる若い皆さんが本当にうらやましいです。
だから、自分の可能性を「組織という枠」や「周りからの目線」という小さな枠の中に閉じ込めないでほしいなって。

21世紀の新人は、自由に、どこへでも好きなところに羽ばたく姿がお似合いですから。

▼ 夏野剛さんプロフィール

1965年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、88年に東京ガスに入社。93年から米国ペンシルバニア大学経営大学院に留学し、経営学修士号(MBA)を取得。帰国後、ハイパーネット社に参加し、副社長に就任。ハイパーネット社は97年に経営破綻し、同年NTTドコモに移籍。松永真理氏らと「iモード」ビジネスを立ち上げる。それ以降も「おサイフケータイ」など、ドコモの新規事業を次々実現させ、2005年にはドコモの執行役員に就任。iモードビジネスにおける功績は大きく、米国の経済誌「BusinessWeek」にて「世界のeビジネスリーダー25人」に選出される。08年、ドコモを退社。現在は慶應義塾大学政策メディア研究科・特別招聘教授のほか、カドカワ、セガサミーホールディングス、ぴあ、トランスコスモス、グリー、DLE、U‐NEXTなどの取締役を兼任。著書は『iモード・ストラテジー』(日経BP企画)、『ケータイの未来』(ダイヤモンド社)、『1兆円を稼いだ男の仕事術』(講談社)など多数。
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